2017年07月21日

お散歩ワンちゃん

夕方、通りに面した駐車場そばの水道で水を汲んでいたら、散歩中の犬が私を見て立ち止り、こちらを向いて座り込んでしまいました。
歩きながら偶然私と目が合ったのですが、盛んにしっぽを振ってのサービスぶり。
飼い主は先に歩いていて、垣根の陰で姿は見えないのですが、犬の名前を呼びながらリードをひいている様子です。でもワンちゃんはこちらを向いてそこに座り込んだまま。
なんという犬種か中型と小型の中間のような真っ白いワンちゃんです。もちろん初対面。
「どうしたの」と飼い主の女性が戻ってきてワンちゃんの名前を呼んでリードを引っ張りますがワンちゃんは動きません。
「すみません」と女性が笑いながらいい、私も「どうしたんでしょうね」とワンちゃんの友愛ぶりに驚いてしまいました。
とうとう私が手を振って「バイ、バイ」と言うと立ち上がって歩き出しました。
たったこれだけの出来事なのに、とても幸せな気持になりました。
動物の純な心が人の心を癒してくれることを改めて感じたのですが、その時、以前、国道を車で走っていたとき、ふと受けた見知らぬ人からの親切のことを思い出しました。
その日、私の前を走っていた車の人が運転席の窓を開けて大きく手を振り、何か合図を送ってくれています。怪訝に思っているとその人は車のバックミラーを指さし、私のバックミラーが閉じたままだったことを教えてくれました。
家を出たばかりですぐに国道に出て、バックミラーを閉じたままの不自由さを感じることもなく運転していましたが、危険だったと思います。
私は手を挙げてお辞儀し、国道を出るときもう一度同じようにして感謝の意を表しました。
この時も自然に顔がほころんで、ほのぼのとした温かい気持ちになりました。
このさりげない、そして暖かい親切を誰かに話したいと思いましたが、言葉に出すと感動が消えてしまうようにも思え、話しませんでした。
日常の中で、私たちが幸せを感じられることはこのほかにもきっとある、そう思えた二つの出来事でした。

posted by kikyoukarukaya at 23:16| 埼玉 ☔| Comment(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

飼えないペットのこと 追記です。

昨夜か今日の未明、他の人のことなどをブログに書いて良心がとがめていたためか、乗り物に乗り遅れた夢を見てしまいました。
自分が使わなくなって、ほかの人が役立つと思えた切符を人に配っていて、乗るはずだったバスに出発されてしまった夢。しかもどこかへの旅行中。
でもきっと追いつけると思って走り出したところで目が覚めました。朝でした。
「ああよかった。無事に家に帰れてて」と安心した次第です。

今日友人から電話があって、例のペットを飼いたがっていた人は引っ越すことになり、戸建ての家を探しているそうです。
マンションは持家で売却するのか人に貸すのかわかりませんが、とにかく別居にも離婚にもならず落ち着きそうだということでした。
このことにもまた驚きましたが、両親の援助などがあって、それだけのことが可能になったようです。
人それぞれ置かれた状況が違いますから、自分には無謀と思えることも、人によってはちょっとした出来事に過ぎず、解決していくのかと思わせられました。
その人とは長時間いろいろなことを話して疲れましたが、何の役にも立たない結果だったと思いました。
でも今朝の目覚めがよかったので一日快適で、久しぶりに遅れていた夏野菜の植え付けなどをしました。

posted by kikyoukarukaya at 23:36| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日々思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

飼えないペットのこと

日常の中で何かを思うことが多くありますが、それをブログに書こうとするとある制限を感じて、書かずに終わってしまうことが度々あります。
ここに書いた人のことが、もしどなたかの知っている人だったら、などと考え自分の胸に収めてしまいます。でもひと月ほど前、ある集まりに参加していたとき、思いがけない話を聞き考えさせられました。
それはある人の飼うことができないというペットの悩みだったのですが。

住んでいるマンションでペットを飼えないので悩んでいる、とその人が言ったとき、真っ先に捨てられていた動物を保護したのかと思いました。
以前飼っていた病気の犬をみとった直後、年老いた真っ黒な大型犬が道を歩いているのを見かけたことがあります。
近くに高速が走っていて、飼えなくなったペットを遠くから捨てに来る人がいると聞いていましたので、そのような犬だろうと思いました。

飼い犬が死んだとき、とても悲しくずっと嘆いていましたので、もう動物を飼うのはダメ、と夫からくぎを刺されていました。でも歩いているその犬に心が動き、なんとかなつかせ飼ってしまおうと決心しました。
夫が反対したとしても、そのころの私は夫の弱みを握っていましたので、押し切ってしまおうと思ったのです。庭のウッドデッキを利用して犬小屋を作れないかとひそかに考えていました。でもそれにはその犬が私になついてくれることが最低条件でした。飛びかかってこられるようでは危険すぎると思ったのです。
その後も何度か見かけ、餌をもってあとを追いかけたりしましたが、警戒して私を見ては逃げるばかりです。
私がその思いを人に話すと、市役所の人に頼んで保護してもらったら、と言われましたが、夫との交渉を踏まなければと思っていたので、すぐには行動に移せませんでした。
そうこうしている内にその犬の姿は見かけなくなってしまいました。誰にも引き取ってもらえず、きっと保健所に連れて行かれてしまったのだと思いました。それからはずっと悲しく、その犬のことが忘れられませんでした。
そんなわけで夫との交渉には至りませんでしたが、先日、ペットが飼えない、という人の悩みを聞いた時、真っ先にそのことを思い出したのです。(ちなみに夫の弱みとは、そのころの夫はものすごい浪費家だったということです。地味な私に比較して。
息子が中学生のころ「家には金持ちと貧乏が暮らしている」といわれたほどなので、ここという時には、私はこの宝刀を使います。と言っても私がこれを使ったのは、さんざ悩んだ挙句にワンちゃんという病気の犬と、猫に襲われていたカラスを飼ったときだけでしたが)

飼えないというペットの詳しい話を聞くまで、もし捨てられていた動物がいるというのだったら、自分が代わりに引き取ってあげても、とその時思いました。でもその人から聞く悩みというのはこうでした
ペットショップで、ある「動物」をご主人に相談せずに数十万円ものローンで買ってしまったというのです。相談すれば、動物嫌いのご主人に反対されるから、既成事実を作ってしまったのだそうです。
マンションでは動物を飼うのは禁止なので、別居や他に引っ越す話や、離婚話までに発展していました。
本当に驚いてしまったのですが、その問題を回避するためには、ペットショップの人に事情を説明し、謝罪し、まだ引き取っていないので購入を取り消してもらったら、とアドバイスしました。ローンの問題がどうなるかはわからないけれど、多少のペナルティは覚悟して、消費者相談のようなところに行ってみたら、とも言いました。
今からでも話を白紙に戻せないかという相談かと思ったのですが、しかしその人は、どうしてもその動物は飼いたい、諦められないというのです。
いくつもの弊害がある中でその動物を飼うようになれば、これから起こる様々なリスクや、思ってもみない問題が起こるかもしれないことをいくつもの事例を挙げて話しましたが、どうしても諦められないというので、もう言うべき言葉がなくなりました。そして話している自分自身がぐったり疲れ果てました。

そのペットを飼いたいと言っていた人の話は、何ら解決の糸口も見いだせないまま、その場はお開きになりました。
その時、いろいろなことを考えさせられました。まず執着ということ。人はなぜ執着に陥ってしまうのか。
どんなに執着しても、得られないものは得られないということを、経験としては学んでいます。
しかし問題は、そこに多少なりの選択の余地がある場合、誤った選択をしてしまうことの危険が伴います。
一つしか道がないならば、つまり自分の願いが完全に叶えられないことが分かっていれば、否応なく願いはあきらめざるを得ません、自然の摂理ともいうべきか、いくつかの例外はあるにしても、閉ざされた道は進まずに良かったと後になって思うことが多くあります。
願いを断念せざるを得なかったことが、その後に起こりうる窮地から身を守ってくれたかもしれないと思うことが多くありましたから。

ある出来事が自分自身に起こり、その解決策を探らなければならないとき、判断を誤ることはしばしばあります。誤った選択の果てにそれが許容されることもありますがそうでない場合もあります。
またこうした事例とは別に、思いがけないアクシデントに見舞われることもあります。
前述の言葉とは相反するようですが、そして飛躍するようですが、ある喜ばしくない出来事が起こっても、自力で解決できるうちは真摯な態度で事に臨めばよいのだと思います。
人生には自力では解決できないようなことがたくさんあると思いますから。
いつでも自分の立ち位置を確かめ誤りに陥らない生き方と、もし誤りに気づいたら、そこから軌道修正していけるような判断力を身に付けていかなければと思わせられた一件でした。

あれから1か月が経ちました。
友人が電話をしても電話が通じず、その後どうなったのか分からないと言います。
諭されたり、反対意見のようなことばかり聞かされて傷ついてしまったのか。
友人の知り合いで、私自身はこれまで2,3度会っただけの人で、その人の意思にかかわることでどうすることもできないわけですが、その後のことが少し気になっています。


posted by kikyoukarukaya at 00:01| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日々思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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